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娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い
娘より間男を選んだ妻へ、無職の俺が一条財閥の後継者だと知っても、もう遅い
Author: 秋月 友希

一般人ごっこの終焉 〜すれ違う思いと裏切りのステージ〜

last update publish date: 2026-06-02 22:35:59

 夜八時。リビングのテーブルには、結衣の名前が書かれたバースデーケーキと、不格好なリボンが結ばれた小さな箱が置かれていた。

「パパ……ママ、まだお仕事終わらないの?」

 五歳になる娘の結衣が、画用紙に描いた『ママへの似顔絵』を胸に抱きしめたまま、泣き出しそうな顔で俺を見上げている。

 今日は結衣がずっと楽しみにしていた大切な誕生日だ。俺は娘の頭を優しく撫でると、スマートフォンを取り出して、妻である絵里香に電話をかけた。

 数回のコールの後、苛立ちを含んだ声が耳に届く。

『何? 今、ホテルで重要な祝賀パーティーをしているの。用がないなら電話してこないで』

「今日は結衣の誕生日だ。ケーキを買って待っていると言ったはずだが」

『だから何? 子供の誕生日なんて毎年あるじゃない。こっちは会社の命運を握る大事な日なのよ。定職にも就かず、家で主夫ごっこをしているだけのあなたには一生理解できないでしょうけどね』

 凍てつくほど冷たい言葉だ。

 その背後から、ひどく甘ったるい男の声が聞こえた。

『社長ぉ、グラス空きましたよ。……ふふっ、今日は最高ですね、絵里香さん』

『ちょっと、待ってよ、樹(いつき)くん……あぁもう、切るわよ!』

 ブツッ、と乾いた電子音が鳴り、通話が切断された。

「……ママ、こないの?」

 ついに結衣の目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。

 俺は湧き上がる怒りを噛み殺し、極めて穏やかな声で結衣を抱き寄せた。

「ごめんな。ママは今日、どうしても外せない用事があるみたいなんだ。パパと一緒にケーキを食べよう」

 泣きじゃくる娘をなだめ、ベッドで寝かしつける。

 結衣の規則正しい寝息を確認した俺は、そっとドアを閉めてリビングに戻った。暗がりの中、虚空に向かって低く声を落とす。

「結衣を守れ」

『——承知いたしました』

 どこからか、感情の読めない声が耳元のインカムに返ってくる。

 俺は冷たい雨が降る夜の街へと歩み出した。足取りは重く、胸の奥で微かな未練が燻っている。

(頼むから、全部俺の勘違いであってくれ……)

 妻は不器用なだけで、家族への愛は残っているはずだ。あの男の声も、ただの酔った社員の戯言に違いない。そう自分に言い聞かせながら、俺は足早にホテルへと向かった。

                 ◇

 都内の高級ホテル、最上階の宴会場——

 扉を開けると、そこでは華やかな音楽と共に、絵里香がステージの上でマイクを握っていた。

「皆様! 我が社が今回、大型案件を獲得できたのは、すべて彼のおかげです。私の最高のパートナー、樹くん!」

 呼ばれた樹は、洗練されたスーツ姿と完璧な営業スマイルで投資家や経営者たちに深く一礼した。いかにも有能な若手エリートといった、非の打ち所がない立ち振る舞いだ。

 しかし、彼が絵里香の腰に手を回した瞬間——その表情は、甘く蕩けた男の顔に変わった。

「絵里香さんのためなら、これくらいの契約、どうってことありませんよ」

 拍手喝采の中、あろうことか二人は大勢の客が見ている公の場で、熱烈に唇を重ね合わせた。

 絵里香は抵抗するどころか、俺の前では決して見せたことのない、柔らかく女らしい表情で彼を受け入れている。

 勘違いであってくれという俺のささやかな願いは、無惨にも打ち砕かれた。

 俺がステージへと歩み寄ると、歓声が引き、絵里香が俺の存在に気づいた。

 彼女の顔に明らかな嫌悪感が浮かぶ。

「な、何しに来たの!?」

 絵里香は周囲の経営者や投資家たちの目を気にし、足早に距離を詰めてきた。そして、周囲に悟られまいと声を落とし、底冷えのする声で威圧する。

「私の大切な客たちの前に顔を出さないで。恥ずかしいから、今すぐ出て行ってくれない?」

 周囲の目を気にして必死に体裁を保とうとする姿が、ひどく滑稽に見える。

「夫が妻の祝賀会に足を運んで何が悪い」

 俺が一歩も引かずに見据え続けると、絵里香は忌々しげに顔を歪め、さらに声を潜めて凄んだ。

「立場を弁えなさい。ここはあなたが、うろついていい場所じゃないのよ」

 俺は冷ややかな視線を返し、言葉の刃を突きつけた。

「立場……か。俺がいては、あの熱烈な『挨拶』の邪魔になるからじゃないのか?」

 図星を突かれたのか、絵里香の表情が険を帯びる。思い通りに支配できない俺の態度が、彼女の薄っぺらい自尊心をへし折る。

「偉そうな口を叩かないでちょうだい。定職にも就かない甲斐性なしのくせに!」

 周囲を取り繕う余裕すら失い、絵里香はヒステリックに声を荒らげた。

 俺は絵里香の罵倒を真っ向から受け止め、ひたすらに冷え切った目で二人を見据えた。そして、口の端を歪めて言い放つ。

「今日は運がいいな。こんなにお似合いの二人を、わざわざこの目で見られるなんて」

「は……?」

「次はそのまま、部屋でも取るつもりか?」

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